リストについての諸注意

<リストについての諸注意>

 このブログは台湾の小学校に当たる「國民小學」が日本時代に開校した「公學校」に創校の歴史を遡ることから、その一覧としました。約2600校近く有る國民小學のうち、約1100校近くの学校が日本時代に由来しています。
 
 写真のない学校はデータのみの掲載で「未訪問」ですが、「未撮影」は訪問したことがあってもカメラを持って行かなかったことから撮影できなかった學校です。訪問後順次写真を掲載していきます。

 ブログの性格上、掲載順にしか配列されないため「ラベル」を使用されることをすすめます。
 
 台湾南部は現在の雲林縣、嘉義市、嘉義縣、臺南市、臺南縣、高雄市、高雄縣、屏東縣、屏東市、臺東縣、澎湖縣の約600校を予定しています。

 台湾北部は現在の臺北市、基隆市、臺北縣、宜蘭縣、桃園縣、新竹縣、新竹市、苗栗縣、台中市、臺中縣、南投縣、彰化市、彰化縣、花蓮縣の約600校を予定しています。

 國民小學を基準としているため、「教育所」も含めます。ラベルは「教育所」として分けました。
 
 特に台湾の公学校について、名称変更が頻繁にあったため、文献上でどこの学校が今のどの学校になるのか、なかなかわからなかったことが多かったです。國民學校の名称か公学校の名称か、いつ変わったのか等、教育史的な面からも日本時代の公学校の全容が必要でした。ここに一応公報に基づく変遷史を公開することにしました。

 戦前の州単位では膨大になり、また郡単位では細かくなるため、現在の台湾の縣単位を基準としました。

 学校名について

 公学校については当時の公報に記載されている漢字を基本としました。
 
 國民小學名については現在使用されている漢字を基本としました。

 ユニコードにない漢字は現代に近い漢字を当てました。

 日本語での検索の場合、旧漢字での検索が比較的ヒットしやすいと思います。


 現在地は現在校舎の有る地点を記述したものであす。創校当時は別の地点の場合もあり、公報で告示されますが、詳しい地点が記録されている場合は順次追加する予定です。

 学校の創校は地元史の兼ね合いもあり、特に分教室(正確には分離教室)の設置に始まることが多々あります。そのことは特に『学校沿革誌』がある場合、日本語での記述があるため、比較的確認しやすいです。しかし、台湾の郷土史については文献の根拠が曖昧なため、信頼性に欠けることが多かったです。また、分教室は寺廟で開始することが多々あり、仮設教室としてスタートしています。一定の生徒が確保できた後、校地を選定し校舎を建てるための申請をして「分校」としてスタートすることが普通であったようです。または、一気に本校として開設する場合などもあるため、より詳細な研究が必要です。 

 学校の写真等については、今の國民小學がホームページを持っていることから、当然ながら自分が訪問して撮影したものに限っています。二次使用の際は必ず「泉君の日本語教育史講座」からの転用であることの明記をお願いいたします。

 リンクについてはフリーですのでメール等は不要です。