2009年11月7日土曜日

國立屏東教育大学附設實驗國民小學(屏東市竹園公學校・屏東師範學校附屬公學校)


現在地:屏東縣屏東市廣東路師校巷角(長春里)

屏東市竹園公學校
民国26年(1937年)昭和12年4月1日
高雄州報第1234號 昭和12年4月8日告示第58號

屏東師範學校附屬公學校
民国29年(1940年)昭和 15年4月1日
(公報未確認)

2 件のコメント:

カオル さんのコメント...

はじめまして。
カオル(日本人)と申します。
戦前に台湾生まれた父親が、今秋、はじめて
台湾に再訪しようと計画しております。
自分が生まれ育った場所を訪れたいと願っております。
祖父(故人)が台糖で働いており、唯一の手がかりが、古い写真の裏にかかれていた「屏東市竹園60番地」のみなのです。こちらの学校は、昔竹園公学校と呼ばれていたのでしょうか?ということは、いまある国立屏東教育大学のある場所が竹園町であると見当をつけてもいいのでしょうか。
もし、この学校の昔の住所が竹園町であるかどうか教えていただきたいです。
お忙しいところお手数をおかけいたします。

泉君 さんのコメント...

カオル様

コメントありがとうございます。

調査をしてみないとわかりませんが、竹園公学校は最初は屏東市屏東156番地に設立されました。昭和15年3月31日に廃止というのは確認できました。しかし現在地が竹園町になるのかはもう少し調べてみないとわかりません。公学校は設立と現在地が違うことが多多あります。

 写真裏の住所は屏東市竹園町60番地となっていますが、その地を見て行くと、今もある台湾製糖屏東工場(停止)の本社か敷地内の地番だと思います。戦前台湾製糖の本社があった地は竹園町のようですので、間違いないでしょう。生まれ育った地であるなら宿舎になるかと思いますので、宿舎跡を探す必要があると思います。また通われた学校は日本人は屏東市榮國民學校(現中正國小)だと思います。

以前にも彰化の製糖工場に勤められていた方が訪ねられるために、問い合わせがあり、いろいろ調査させていただきましたので、どうぞお気兼ねなくお問い合わせください。

屏東市は私の住んでいるところからバイクで30分もあれば行けるところですので、調べてこようと思います。

泉史生
文藻外語學院日本語文系兼任講師
國立高雄第一科技大學應用日語學系 兼任講師
E-mail idu230@bl.mmtr.or.jp
メールは直接こちらにいただけると助かります。