2010年4月5日月曜日

屏東縣恒春鎭墾丁國民小學鵝鑾分校(恒春第一國民學校鵝鑾鼻分教場・恒春第四國民學校)

現在地:屏東縣恒春鎭鵝鑾鼻 (2010年4月4日撮影)

恒春第一國民學校鵝鑾鼻分教場
民国30年(1941年)昭和16年4月1日
高雄州報第1600號 昭和16年4月1日告示第267號

恒春第四國民學校
民国32年(1943年)昭和18年4月1日
(公報未確認)

<解説>
 恒春第一國民學校鵝鑾鼻分教場は昭和16年4月1日に恒春第一公學校墾丁寮分教場からの名称変更である。地名を学校名にする原則から、墾丁から鵝鑾鼻に校舎が移り、墾丁はその後独立した形跡がない。そのため、名称変更は校舎移転に伴うものと推測される。

 その後の再度の名称変更で恒春第四國民學校になっているが、それが墾丁になるのか鵝鑾鼻の校地なのかは不明である。ただ、『屏東縣志』によれば昭和20年に空襲を受けていることが記録されている。またそのまま校地は現在の墾丁國民小學になっていることから、昭和18年に恒春第四國民學校は墾丁國民學校のあったところに所在していたことが考えられる。

 しかしながら、空襲を受けるには、近くに軍事施設があることが考えられる。墾丁と鵝鑾鼻を比較すると鵝鑾鼻には燈台の他に気象観測所、ほかいくつか軍事施設が山頂にあったことが考えられる。墾丁の近くには大坂埒という捕鯨の寄港地があったことから、そこが狙われた可能性もある。

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