2012年1月22日日曜日

澎湖縣白沙郷港子國民小學(港仔公學校跡の可能性)

現在地:澎湖縣白沙郷港子(2012年1月19日撮影) 

港仔公學校(鎭海澚港仔郷)
民国前11年(1901年)明治34年6月20日
(公報未確認)
『臺灣総督府文書』明治34年6月20日付で「澎湖廳港仔鄉公學校設置報告」 がある。
「明治34年臺灣総督府公文類纂第59巻乙種永久保存 第17門文書10號」


頂山公學校(通梁・大赤崁・港仔公學校合併)
<港仔公學校廃止>
民国前3年(1909年)明治42年3月31日
(公報未確認)

<解説>
港仔公學校他三校合併後、港仔に分校を設置した記録は見当たらない。現在、保定宮(保定宮榕樹も有名)の横に港子國民小學がある。公学校廃止からかなりの時間が経っていはいる。しかし、公学校設置につき、最初は廟の一部を借用しての経緯があることから、現在の校地が保定宮の横にあることを考えると、ここに港仔公学校が当初設置された可能性が高い。

保定宮(2012年1月19日撮影)保定宮と榕樹

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